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2008年9月

20歳 part2

別れた彼と
同じ職場でいることが
精神的に負担になり
ましてや
元サヤにおさまったフタリが
同じフロアー内にいることは
わたしにしてみたら
最悪の状況で……
退職w

心機一転のために
他社で働く事にしたが
そこではストーカーにあってしまったorz

東京にいることが
耐えられなくなり
父の田舎へ引っ込む事にした

山や畑、田んぼに囲まれた
空気の美味しい土地だった

ほとんど
誰も知らない人たちの居る場所
解放された

早々に就職先を探し始めたが
如何わしいシゴトにハメラレテしまったw

ジブンでもアタマだいじょぶ???
と思うw
なんでもかんでも信じてしまうクセ

そのシゴトとは
ネズミコウだった

まんまとハマってしまい
スゴイ勢いで活動を始めた
熱狂的信者のように……w

その活動をするためには
ブレーンをつくらなければならないので
ナカマのいる東京へ戻らなければならなくなった

田舎にはほんの数ヶ月しか留まらず
結局東京で活発に活動を始める

が、段々何かおかしい?と感じるようになり
退会しようとしたが
なかなか辞めさせてくれない
毎日の様にシツコク電話がかかってくる
だから電話番号も変えた

わたしはいったい
何をやっていたのだろう?

バカだ… ね?www

MANA

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20歳 part1

友人たちは皆
短大
専門
就職してる中
わたしは引き続きバイト

ジブンも定職に就いた方が良いと思い
アレコレと探していたが
何をして良いかもわからず
派遣社員として
某大手企業で働くようになった

ソコの男性社員に食事に誘われ
何回か飲みに行くうちに
誘って来た男性と付き合う様になった

付き合い始めて間もない頃
会社帰りの改札口で
彼とわたしをジッと見つめる女性がいた

私:「あの人ずっとコッチ見てるよ」
彼:「んあ? あぁ…チョット待ってて」

フタリは何か揉め合ってる様子だった

ほんの数分で彼は戻って来た

彼:「行こう」
私:「え? 彼女まだコッチを見てるよ
   まだ話終わってないんじゃない?」
彼:「いいんだよ、行こう」

とても気になりながら
彼の言う通りに彼のウチへ行った

夕ご飯を食べ終え
ゆたぁ〜っとしていた時

プルルルル…
プルルルル…

電話が鳴った

さっきの彼女からだと
彼が目眴せをした

また電話口で揉めている

事の詳細を聞くと
彼女と彼は付き合っていたとのこと

……この続きは
また後程……

ごめんなさい(涙)

MANA

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19歳

宗教組織から追放され
高校も卒業し
(卒業したとは言っても
 不登校だったため
 出席日数が足りなかったが
 担任がごまかしてくれた)
全てに解放された感があった
凧の糸が切れたように
自由な空へ飛んで行った

自由…
その時のソレは
無秩序なモノだったと
今は思う
本当の自由ではなかった

高校生の時から始めたバイト先で
大学生たちと遊んでた
そう
高校時代
学校も行かず
バイト先のナカマ達と
飲みに行ったり
ドライブしたりしていた
(私は走り屋でしたw
 クルマ&単車両刀)

毎日の様に朝帰り
この時は既に
家族との交流は殆ど無くなっていた

無視の世界

幼少から中学2年まで
あんなに絡んできた家族…
あの柵から解放され
セイセイしてた

バイクにもハマリ
奥多摩まで
峠を攻めによく行った
と言っても
わたしは2ケツw
ジブンで運転したくて
欲しい車種もあったし
免許も取りたかったが
誰もが反対した
理由は危ないからだと
それでも諦めきれず
よく馴染みのバイク屋へ行っては
STEEDをナメルように眺めてた

19歳
未成年最後の年齢
やりたい放題
自由気まま
親にイヤミを言われながらも
奔放にやらせてもらった最初で最後の時期だった

MANA

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途中ですが…

過去を振り返って
書き綴るうち
具合が悪くなってきました

過去は
まったく啓発的でなく
マイナス思考で
重たいし
くだらないので
本来振り返らなくてもいいのかもしれません

現在は
とても前向きで
充実していて
幸せな生活をしています

振り返らなくていい過去……

書き始めた今
どうしたらいいだろうかと
悩んでいます
くじけそう…

でも
こんなわたしでも
幸せ掴むことができたこと
だから
もし何かで悩んでいる誰かが
このブログを読む機会があるとしたら
なんらかの参考にしてもらえたら…
そして
誰でも
幸せになるために産まれて来たんだと
伝えたいです

コドモだったから
訳の分からず屋で
無分別で
メチャクチャスッチャカメッチャカ
でしたけど
オトナになった今は
まだまだ足りないケド
毎日が楽しくて
生き生きとしていて
元気です

最後まで
諦めずに
書き終える事ができますように…

MANA

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17〜18歳(高2〜3)

登校拒否
ヒキコモリ

誰にも会いたくない
誰とも喋りたくない

布団に張り付いたまま
微動だに出来ない鬱状態の日々
覇気が無く
何にも興味が持てず
目は虚ろ
ただ息をしているだけ
虚無

そんなある夏の日
お中元で届いていた
ビールの箱が目にとまった

どんなもんだろ?
と興味本意で口にしてみた

ニガッ!! 変な味!!

そう感じたのも束の間
ツーッと喉を通り胃の中が熱くなり
高揚してきた

何なんだ? この興奮???

活力が湧いて来る…

急に誰かと喋りたくなってきた
何処かへ行きたくなった

何かキモチイイ♪
楽しいかもしれない♪

それからというもの
飲んでは人恋しくなり
飲みに出掛けるようになった

誰と居ても
つまらなかった
と言うか苦痛だったのに
誰かと居るコトが
楽しくなった

そこにアルコールがあることが前提で…

いい子を強いられて
これまで生きてた
いい子を努めて
ムリをしていた
そういうのはもうやめようと思った

そして反抗心と興味本位で
タバコも吸うようになった

なんでもかんでも
ダメダメと言われ続けてきたものを
全てやろうと思い始めた

その中に
組織以外との交流・交友を続けてはいけない
という訳のわからない規則もあった
何故友達作っちゃいけないの???
変なのぉ〜
だから普通に守らなかった
友達大スキだもん♪
友達大切だもん♪

それにより宗教組織から追放される

MANA

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16歳(高1)

某私立女子高等学校へ入学したが
合格発表までの道のりは甘く無かった

担任からも
「オマエの学力なら大丈夫!!」
と太鼓判を押されていたにも関わらず
第一希望の公立高校は落ちてしまい
項垂れていた
そして私立の入試まで
ピリピリとしていた

あの時の緊張感漂う空気は
思い出すと苦しくなる

この頃から宗教の集まりにも行かなくなり
ヒキコモリ状態が続くようになった

わたしのヒキコモリは
この頃から酷くなっていった

小学生の時にイジメにあっていたコトを
前に書いたが
その頃から登校拒否気味で
友人等も心配していたようだった

そして高校へ入ると
完全なヒキコモリ生活が始まる

MANA

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15歳(中3)

この当時のことは
記述するのも苦痛…
精神的にかなりきてた
ボロボロorz

気合い入れないと書けないので
再度改めて更新するとしよう

MANA

続きを読む "15歳(中3)"

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14歳(中2)

人生を決める重大な決意表明をした
ある秋の日
事の重要性をまだ良くわからずに
サクッとやってのけてしまった…
後に後悔することとなるのも知らずに

それは両親が信仰していた神に献身する
つまりジブンを捧げるというもの

来年は中3で
高校受験も控えているから
そうするヒマは無いという勝手な親の言い分と
その組織からの圧力(プレッシャー)から
必要を迫られてのコトだった

今思うと
その当時のジブンや周囲のオトナ達の浅はかさに
呆れるばかりだ

MANA

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13歳(中1)

仲良くしていた友人が
先輩たちからのイジメ(リンチ)を避けるため
私立の中学へ行き
宗教組織内での幼馴染みも引っ越しで転校

初恋は小6の時で
彼は外語大学生だったが
その彼も宗教組織の関係で引っ越し

寂しい気持ちで迎えた中学1年の春だった

小学時代のいじめっ子のヒトリと
また同じクラスw
だが彼女は他校の生徒たちにビビってたw
そしてわたしに馴れ馴れしくしてきた
「なかよくしようね♪」だってwww

めんどうくさいヤツw

仕方無く一緒にいたが
しばらくしてわたしが不良の女の子と仲良くしていたら
「あの子と口きいたらイジメルヨ」
と言って来たw

なんなんだ?コイツw

呆れてモノも言えないとは
こういうヤツのコトをいうんだろう

いつの日か正義感の強いヒトとなっていたわたしは
いじめられっ子の味方になり
いつも傍に居た
逆にわたしがイジメられることもあったが
何も怖くなかった
むしろバカバカしくて
相手にならなかったw

そんなことより
宗教組織のオトナどもがウザかった
服装やら
髪型やら
態度やら
グチャグチャと学校並みにうるさかった
いや、それ以上だったかもしれないw

母は毎日ヒステリーを起こし
父は家庭に無関心

どこへ行っても
心休まる場所は無く
授業中も
家に居ても
窓の外をボーッと眺めるのがクセだった

空飛べたらなぁ〜

そんなこと考えて
飛ぶ鳥を眺めてた

夕陽が沈んで行くのを観るのもスキだった

そして
小学生時代からずっと
どうやったら痛くなく死ねるかを
考えてた

ジブンが存在する意味
生きてる意味
生きていく意味
それがわからなかった

何故わたしは産まれてきたの?

この頃はまだ
後10数年後に奇蹟的な経験をするとは
想像もつかない

この頃のわたしに言ってあげたい
「産まれてきてよかったね
 あなたは幸せになるために
 産まれて来たんだよ」って…

これから起こるコトも知らず
まだまだ暗雲の時代は続き
地獄を這うかの様に生きて行くのだった

(部活動に参加するのも、宗教で禁止されていたので
わたしは帰宅部でしたw)

MANA

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8〜12歳(小2〜6)

小学校も中学年に入った頃
イジメにあうようになった

一風変わった家庭環境で育ったせいか
風変わりなコドモだった
ヒトと違うことを言ったり、行動したり…
いじめっ子の側からすると
目立ってて、ウザかったのだろう
わたしにしつこく付きまとってきた
わたしからしてみると
その子たちがウザかったw

あの子たちはどうしてわたしに注意を向けるのだろう?
放っておいて欲しい……

この頃から登校拒否気味になる
神経痛であろう腹痛と微熱が続くことも頻繁に…
「自律神経失調症」はこの頃から芽を出し始めた
そして「不眠症」
眠れない夜ばかり
朝になるのが怖くて
ヒトリ枕をぬらしてた
イジメられていることを
親にも悪くて言えなかったから
ヒトリで悩んでた

また、家の前の大通りをパレードする(?)暴走族が
妙に気になり
興奮して見とれていた
あの大きな爆音と禁じられた遊びのテーマw
あの群衆がスペクターと名乗るグループだと知ったのは
つい最近のことだが…w

MANA

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7歳(小1)

両親はある宗教組織に熱心に携わっていた
妹が母のお腹の中にいるときからだという

その組織での規則は厳しく
組織内でしか交友関係を築けず
近所のおともだちをつくることは許されなかった

幼稚園や保育園へ通うことも禁じられていた

(テレビ番組にも厳しい制限があり
 唯一見せてもらえるのは
 「サザエさん」
 「世界名作劇場」
 「大草原の小さな家」
 歌謡番組は絶対にダメだった
 年間行事もすべてダメw
 誕生日も祝ってはいけない
 クリスマスもダメw)

しかし義務教育は受けなければいけないと
小学校へ通うこととなった

産まれてから7歳になるまでの7年間
世間に触れずに来たから
小学校へ初めて行ったときの恐怖といったら…
コトバの通じない外国へ行ったような感じだった
皆が何を話しているのかサッパリわからない
ちんぷんかんぷん

毎朝恐怖と闘いながら通学したのを憶えてる
この頃から「不眠」に悩まされるようになる

そして…
宗教組織内でも恐怖があった
「ムチ部屋」という部屋があり
オトナ達がコドモをそこへ連れて行き
ムチで叩くのだw

今思い出しても信じられないw

組織内のオトナ達や両親から
毎日のようにムチで打たれていた

理不尽…
愛なんて無い

最初のうちは泣いていた
愛されたい
いい子にしていれば愛してもらえるだろう
いい子にならなきゃならなきゃ…
が…
そのうち泣かない子になっていた

「恐怖」から「怒り」に変化した時期があった

MANA

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4〜6歳

「お部屋真っ赤っか事件」時に失った
大切なモノのヒトツの「何か」とは
多分純粋無垢な「愛」とか
「やさしさ」みたいなモノだろう

あの時
「憎しみ」のような
「哀しい気持ち」が産まれた

それは「悪」

屈託のない「天使」のようなコドモに
初めて「悪魔」が宿る瞬間を
経験したのだと思う

明るく、やさしく、面倒見の良いおねえちゃん
その反面
意地悪いおねえちゃんも居た

妹とケンカをした時のこと
ワァーンワァーンと泣く妹
母が慌てて飛んできた
何でそうなったのか憶えてないが
アタマにきたわたしは
妹の本(「マミー」とか「めばえ」とかいう雑誌)を
ビリビリと破いてしまった
そうしたら母が
わたしの手を強く引っ張り
ハサミをつきつけ
「オマエの手も同じように切ってやる!!」
と言って手を切ろうとした
怖くて泣いた
「ヤダーッヤダーッやめてーーーーーー!!」
と泣き叫んだ
母が鬼のようだった

何故そのようなケンカになったのか
理由も聴かず
母のわたしへの仕打ちは
理不尽に感じることが多かった

おねえちゃんであるわたしは
どんな場合においても
やさしく、親切にふるまうよう命じられていた

そうしなければ
凄い形相の鬼が飛んで来る

くわばらくわばらw

MANA

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3歳

鮮明に残ってる記憶がある

「お部屋真っ赤っか事件」
とでも言おうか
ストーブが絡んでいるので
季節は冬だというのは確かだ

いつものように
母と妹が昼寝をしている

母は妹をあやしていたのだろう
わたしが大切にしていたオルゴール人形が
その布団の傍らに転がっていた

それを見た時
胸の奥から激しく熱い何かを感じた

走ってその人形を奪い
隣の部屋のストーブの上に置いた

その瞬時に「ボンッ!!」という大きな音とともに
人形が消え
部屋中が真っ赤っかになった

怖くなって
部屋の隅の机の下へ潜った

母が凄い勢いで
座布団をブンブン振っている

なにをしているのだろう…
と震えながら見入ってた

間もなく真っ赤っかは消えた

そう…
あれは間違いなくボヤだ

無知というものは恐ろしい
とんでもないことを
わけもわからずやってのける

発火中のストーブの上に
セルロイド製のオルゴール人形を置いてしまうとは…

この時わたしは
大切なモノをフタツ失った

オルゴール人形と
何だかわからない何かを…

MANA

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2歳

特に記憶にございませんw

MANA

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1歳

妹が誕生するとのことで
同区内で引っ越しをすることに

母は出産のために
父の田舎である山形へ

母親から自立するには
まだ早すぎるのだろうに
真冬の大雪の中
祖父母の所でお世話になる

これまたモノクロ写真には
心細げな顔をした
おかっぱアタマの小さな女の子が
長靴を履いて
雪の真ん中に佇んでいる

「ここ、どこよ?」ってな顔でw

この時
母親を探して
ワァーワァーと泣いてゴネて
大変だったとか

まだまだ母親恋しいお年頃だもの
仕方無いじゃんw

MANA

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誕生

出身:東京 豊島区 池袋

五月晴れの早朝6時に産声を上げた

この時のことは
何も記憶に無いw

モノクロの写真には
サルのような小さな人間が
真っ白の(?)産着を着せられている

ただスヤスヤと
眠っている
普通の赤ちゃん

これから起ころうとしていることを
彼女はまだ知らない

当然だw

MANA

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はじめに

これからここに綴るのは
幼少から今現在に至るまでの
ココロのビョウキとの闘いの記録

アダルトチルドレン=ACOA・ACOD
であることから巻き起こった
数々の苦悩
時には笑える
ノンフィクションストーリー

MANA

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