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2008年11月

おわりに

「14600 days」
それは誕生から40年までの日数

現在39歳

闘い(?)はまだまだ終わりません

実際
今でも様々な問題が勃発しており
それは試練と思っています

しかし神は
「人に耐えられない試練は与えない」

だから乗り越えられると信じて
日々闘っています

「MANA」
このHNは「奇跡」という意味なのでつけました
私がこの世に存在していること事態が奇跡であり
経験した数々にも奇跡を感じています

古代イスラエル人が旅をしていた時に
食物が無くなり
不平不満を訴えた時に
モーセが神を通して降らせた
パンの名前も「MANA」でした

******

今回このブログは
私のAAで言う「棚卸し」でもあり
自分を見つめ直し
再認識するためのものでもありました

オモシロおかしく脚色することも可能ですが
ありのまま、そのままを記述しました
詳細を割愛している部分もあります

ですから
読んで下さった方々には
わかりにくい部分もあったかもしれませんが
ご了承ください

また、ご親切に感謝しています

コメントをくださった方々へも
心から感謝しています

約3ヶ月間の短いブログでしたが
フラッシュバックや
過呼吸気味になりながらも
必死で書き綴りました

なにはともあれ
完結できたことにホッとしています

本当にありがとうございました

世界中の皆が平安でありますように

ではAAのように
「小さなお祈り」で閉めたいと思います


「神様、わたしにお与えください
  変えられないものは、受け入れる落ち着きを
   変えられるものは、変えてゆく勇気を
    そして、ふたつのものを見分ける賢さを」

Thank you ..all...
All must be happy.

MANA

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39歳

私はアダルトチルドレン
そして幼少から鬱病と不眠症でした
10代からアルコール依存症的な飲み方が始まり
20代で本格的な症状が表れました

現在そのどれもが回復しています

ある偉人の名言に
「土台は40歳までに築け」
というコトバがありますが
間に合って良かった……
と思っています

後1年
今迄の経験をバネに
そして糧にして
しっかりとした土台を築き
本当の意味でのオトナになりたい

現在は疎遠だった家族とも
お互い行き来して
ご飯を食べたり
旅行したりできるようになりました

こんなこと
無いと思ってた…

アル症で毎日毎日飲み続けてた時は
何度も自殺未遂して
生きているのに死んでいるみたいでした
ただ息してるだけ…みたいな
カラダも骨と皮状態
まるで骸骨でした
大量に血を吐くし
震えも止まらず
背中も痛く
目は黄疸

鏡を見るコトができなかった
怖かった

そんな当時がウソの様に
今は快活に外へ出て
飛び回っています

「MANAはいつも明るいね」
と言われるくらいです

そう
元気なんです

こうなるまでに
色々なヒトたちが関わり
援助してくださいました

医療関係の皆サマも含め
保健師の方々
そして仲間達友人達
家族
皆、皆
ありがとう

そして神様ありがとう
私は悪い子でしたが
見放すことはされなかった
ずっと時をみて
待っていてくださり
ましてや迎え入れてくださった……(涙)

ありがとう
ありがとう
ありがとう

明日の更新で
閉めたいと思います

MANA

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38歳 part4

この頃から飲酒も止まっており
精神薬や睡眠薬も服用しなくても
普通に生活できるようになった

そして
カレと入籍もした

それと同時に
組織への復帰も決まった

未来が見えて来た

友人からもらったコトバ
「目標のある所には成長がある
 成長がある所には努力がある」

今の私にはソレが生まれた

生きると言う事は
今迄の様に酒に頼らず
酒に逃げず
規則正しい健康な心の状態で
日々を過ごすコト

ソレを掴む事ができるようになった

ありがたい

とんちんかんで
スッチャカメッチャカな私には
大切な賢明に歩んでいる
良きアドバイザーが居る

大切な友

ありがとう

希望に満ち溢れて
毎日を過ごせる様になりました

これからも
感謝して
愛を返して
人間らしく生きて行きます

このブログは
後2件更新して
終了となります

MANA

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38歳 part3

水商売を辞め
ファミレスでバイトすることにした

毎週3回行われる5つの集会に出席し続けた

カレとの生活で
諸々の問題、支障があり
帰宅するのを拒むことも何度かあった

だがカレとの出逢いは
偶然ではなく
必然だったのだと感じる事柄が多かった

一番ソレを感じたのは
一枚の写真だった

バイトの帰り
「まっすぐ家へ帰る気になれない」
とメールした時
カレが迎えに来た
そして
「帰ったらオレのパソコンの壁紙を見てみな」
と言う

???

言われるまま
帰宅後即効パソを覗いた

ソコには
私の幼少の頃の懐かしい写真があった

カレ:「この中にいる人物ひとりひとりを紹介して」

ひとりひとりを説明すると
ヒトリの女性をカレが指し
「彼女は誰?」と聞く
私 :「一緒に仲良くしてたお姉さんダヨ」
カレ:「この人は毎週ウチへ来てる◯◯さんの奥さんダヨ」
私 :「えぇ?! マジマジマジ?!?!?!」

またその写真の場所は
その当時カレが住んでいた近所だと……

シゴトの疲れが一気にぶっ飛んだw

カレとはこのような不思議な繋がりが
幾つもある

赤い糸で結ばれてるって
こういうことなのかな……
と思う様になった

この後の更なる展開は part4 にて…

MANA

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38歳 part2

脱出計画を立てながら
カレと生活してく中
不思議なことばかりが起こった

カレは現在カトリック信者だと言う
私も追放されているが
クリスチャン2世だ
でもカレとは宗派が違う
カレは私をカトリック信者にしようと
何回かカトリック教会へ連れてった

私が居るべき場所はココではない

元居た場所へ戻ろう、帰ろうと決意し
ベテルへ電話をかけた
(ベテルとは神の家の意味)
そして私の今居る場所を伝え
近所に集会場所(王国会館)がないかと尋ねると
親切に教えてくれた
日にちと時間も…

即行動☆
これが私のやり方だ
カレに出掛けると言って
ヒトリで集会所へ向かった

この日を境に
私の第2回目の復帰活動が始まる

私、帰ります!!

(38歳 part3へ続く)

MANA

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38歳 part1

どこも行く当てがなかった
実家の前で浮浪者の様に寝泊まりしていた
家族はどこへ行ったのか……
小学生の息子も居るのに
人の気配がまったくない

後日わかったことだったが
私が怖くて
どこかへ逃げていたのだとかw

そんなことも知らず
ただただひたすら
真冬の寒空の下
コートに包まり
凍えながら数日を過ごしてた

そんなある日
変なメールが届いた

まずは私の居る場所を
人工衛星から撮ったという写真が届き
その直後
下へ降りて来いとの命令メール
(オートロックマンションの上階だったので)

言われるまま降りてみると
見覚えのある人が手を振っている

おいでおいでと手を振っている

私が何も食べていないのを知ると
近くの喫茶店へ入り
サンドウィッチとミルクティーを注文した

でも殆ど喉を通らなかった

カレが言う
「ウチへおいで、ウチへ帰ろう」と

そのカレは「37歳」で記述したカレとは違う人
私に彼氏がいるのを知りながら
メールをいつもくれてた人

でも…カレのウチへ行く理由がなかった
付き合ってるわけでもないし
私はいつか必ず会えるはずと
逃げている家族を待ち続けるつもりだった
だがカレは言った
「あそこには誰もいないよ、待ってても無駄だよ」と

渋々カレに手を引かれ
カレのウチへ行った

その日から
カレとの同棲生活が始まった

この続きは「続き」↓で記述する

MANA

続きを読む "38歳 part1"

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37歳

入院期間はだいたい皆3ヶ月なのに
私は帰れる場所が無く
1年も入院していた

その間
鬱病再発し
摂食障害にもなり
パニック発作まで併発してしまった

なにはともあれ
相談員の指導のもと
更生施設へ入所することになった

ソコでの生活は
何の意味もなかったように思う

脱走したw

だが両親が私を受け入れられず
また入院することになった

そして鬱が酷くなった

このころ
彼氏がいて
毎日面会に来てくれてた

また
抗鬱剤の効果(?)で
ハイテンション
つまり
今度は躁状態となり
活発に行動していた

その躁状態が
思考力を狂わせていたのか…
2ヶ月で自主退院することにした
それも急に思い立ってのことだったので
他の患者たちや
ナース
先生方に思いとどまるよう説得されたが
「大丈夫です」
と押し切ってサッサと手続きを済ませて
退院した

行く当てもないのに……

そして数ヶ月
放浪生活することとなった

殆ど浮浪者同然の生活

いつも傍に彼氏がいたが
カレには生活力が無く
やがては対処しきれなくなり
逃げたw

ま、そんなもんでしょうw
人間なんて……

そんな時
救世主現わる

今現在新たなステップファミリーとして
家庭を持てるようになったが
そのいきさつは
「38歳」で記述しよう

MANA

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32〜36歳

結論から言うと
36歳で離婚した

そしてアル症の治療のため
入院した

入院前までは
デイケアに通いながら
通院していたが
このビョウキのタチの悪さには脱帽
そう甘くは無い
なかなか抜け出すことは出来ない
きちんとした専門治療を受け
回復のための努力をしなければ
克服することはまずないだろう

断酒したはずの今でさえ
厄介なのだから……

この歳の頃の出来事は
「続き」で紹介しようと思う

MANA

続きを読む "32〜36歳"

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31歳

2年前に結婚し
新居での3人暮らしが始まったが
初っ端からお冠モードのMANAだった

あまりにもイライラするので
キッチンドリンカー状態で行動してた

詳細は元ダンナのコトなので
割愛するが
こんなんだったら

結婚するんじゃなかった……

暴言吐きまくりの日々
泣きわめく息子

その状況を観た両親が
「こんな所においておけない」と
息子を実家へ連れて行ってしまった

絶望

そのひと言だった

毎日泣きながら
ヒトリ酒

さみしい…

くるしい…

しにたい…

リスカ(リストカット)が始まった
そしてオーバードーズ

なんてザマなんだ……

MANA

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30歳

アルコール依存症

これは回復はしても
完治しないビョウキと言われている

若い頃から遊び半分で飲んでいた
ソレがこんなに恐ろしいモノとなるとは
想像もしていなかった

組織から排斥されると共に始まった
カレとの結婚生活
ソレはソノビョウキを進行させ
悪化させるものとなってしまった

カレは悪の使い???
そう思えてならないコトが次次と始まった

これから記述する内容は
正直しんどい……

少し時間をください

MANA

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