心と体

おわりに

「14600 days」
それは誕生から40年までの日数

現在39歳

闘い(?)はまだまだ終わりません

実際
今でも様々な問題が勃発しており
それは試練と思っています

しかし神は
「人に耐えられない試練は与えない」

だから乗り越えられると信じて
日々闘っています

「MANA」
このHNは「奇跡」という意味なのでつけました
私がこの世に存在していること事態が奇跡であり
経験した数々にも奇跡を感じています

古代イスラエル人が旅をしていた時に
食物が無くなり
不平不満を訴えた時に
モーセが神を通して降らせた
パンの名前も「MANA」でした

******

今回このブログは
私のAAで言う「棚卸し」でもあり
自分を見つめ直し
再認識するためのものでもありました

オモシロおかしく脚色することも可能ですが
ありのまま、そのままを記述しました
詳細を割愛している部分もあります

ですから
読んで下さった方々には
わかりにくい部分もあったかもしれませんが
ご了承ください

また、ご親切に感謝しています

コメントをくださった方々へも
心から感謝しています

約3ヶ月間の短いブログでしたが
フラッシュバックや
過呼吸気味になりながらも
必死で書き綴りました

なにはともあれ
完結できたことにホッとしています

本当にありがとうございました

世界中の皆が平安でありますように

ではAAのように
「小さなお祈り」で閉めたいと思います


「神様、わたしにお与えください
  変えられないものは、受け入れる落ち着きを
   変えられるものは、変えてゆく勇気を
    そして、ふたつのものを見分ける賢さを」

Thank you ..all...
All must be happy.

MANA

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39歳

私はアダルトチルドレン
そして幼少から鬱病と不眠症でした
10代からアルコール依存症的な飲み方が始まり
20代で本格的な症状が表れました

現在そのどれもが回復しています

ある偉人の名言に
「土台は40歳までに築け」
というコトバがありますが
間に合って良かった……
と思っています

後1年
今迄の経験をバネに
そして糧にして
しっかりとした土台を築き
本当の意味でのオトナになりたい

現在は疎遠だった家族とも
お互い行き来して
ご飯を食べたり
旅行したりできるようになりました

こんなこと
無いと思ってた…

アル症で毎日毎日飲み続けてた時は
何度も自殺未遂して
生きているのに死んでいるみたいでした
ただ息してるだけ…みたいな
カラダも骨と皮状態
まるで骸骨でした
大量に血を吐くし
震えも止まらず
背中も痛く
目は黄疸

鏡を見るコトができなかった
怖かった

そんな当時がウソの様に
今は快活に外へ出て
飛び回っています

「MANAはいつも明るいね」
と言われるくらいです

そう
元気なんです

こうなるまでに
色々なヒトたちが関わり
援助してくださいました

医療関係の皆サマも含め
保健師の方々
そして仲間達友人達
家族
皆、皆
ありがとう

そして神様ありがとう
私は悪い子でしたが
見放すことはされなかった
ずっと時をみて
待っていてくださり
ましてや迎え入れてくださった……(涙)

ありがとう
ありがとう
ありがとう

明日の更新で
閉めたいと思います

MANA

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38歳 part4

この頃から飲酒も止まっており
精神薬や睡眠薬も服用しなくても
普通に生活できるようになった

そして
カレと入籍もした

それと同時に
組織への復帰も決まった

未来が見えて来た

友人からもらったコトバ
「目標のある所には成長がある
 成長がある所には努力がある」

今の私にはソレが生まれた

生きると言う事は
今迄の様に酒に頼らず
酒に逃げず
規則正しい健康な心の状態で
日々を過ごすコト

ソレを掴む事ができるようになった

ありがたい

とんちんかんで
スッチャカメッチャカな私には
大切な賢明に歩んでいる
良きアドバイザーが居る

大切な友

ありがとう

希望に満ち溢れて
毎日を過ごせる様になりました

これからも
感謝して
愛を返して
人間らしく生きて行きます

このブログは
後2件更新して
終了となります

MANA

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38歳 part3

水商売を辞め
ファミレスでバイトすることにした

毎週3回行われる5つの集会に出席し続けた

カレとの生活で
諸々の問題、支障があり
帰宅するのを拒むことも何度かあった

だがカレとの出逢いは
偶然ではなく
必然だったのだと感じる事柄が多かった

一番ソレを感じたのは
一枚の写真だった

バイトの帰り
「まっすぐ家へ帰る気になれない」
とメールした時
カレが迎えに来た
そして
「帰ったらオレのパソコンの壁紙を見てみな」
と言う

???

言われるまま
帰宅後即効パソを覗いた

ソコには
私の幼少の頃の懐かしい写真があった

カレ:「この中にいる人物ひとりひとりを紹介して」

ひとりひとりを説明すると
ヒトリの女性をカレが指し
「彼女は誰?」と聞く
私 :「一緒に仲良くしてたお姉さんダヨ」
カレ:「この人は毎週ウチへ来てる◯◯さんの奥さんダヨ」
私 :「えぇ?! マジマジマジ?!?!?!」

またその写真の場所は
その当時カレが住んでいた近所だと……

シゴトの疲れが一気にぶっ飛んだw

カレとはこのような不思議な繋がりが
幾つもある

赤い糸で結ばれてるって
こういうことなのかな……
と思う様になった

この後の更なる展開は part4 にて…

MANA

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38歳 part2

脱出計画を立てながら
カレと生活してく中
不思議なことばかりが起こった

カレは現在カトリック信者だと言う
私も追放されているが
クリスチャン2世だ
でもカレとは宗派が違う
カレは私をカトリック信者にしようと
何回かカトリック教会へ連れてった

私が居るべき場所はココではない

元居た場所へ戻ろう、帰ろうと決意し
ベテルへ電話をかけた
(ベテルとは神の家の意味)
そして私の今居る場所を伝え
近所に集会場所(王国会館)がないかと尋ねると
親切に教えてくれた
日にちと時間も…

即行動☆
これが私のやり方だ
カレに出掛けると言って
ヒトリで集会所へ向かった

この日を境に
私の第2回目の復帰活動が始まる

私、帰ります!!

(38歳 part3へ続く)

MANA

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38歳 part1

どこも行く当てがなかった
実家の前で浮浪者の様に寝泊まりしていた
家族はどこへ行ったのか……
小学生の息子も居るのに
人の気配がまったくない

後日わかったことだったが
私が怖くて
どこかへ逃げていたのだとかw

そんなことも知らず
ただただひたすら
真冬の寒空の下
コートに包まり
凍えながら数日を過ごしてた

そんなある日
変なメールが届いた

まずは私の居る場所を
人工衛星から撮ったという写真が届き
その直後
下へ降りて来いとの命令メール
(オートロックマンションの上階だったので)

言われるまま降りてみると
見覚えのある人が手を振っている

おいでおいでと手を振っている

私が何も食べていないのを知ると
近くの喫茶店へ入り
サンドウィッチとミルクティーを注文した

でも殆ど喉を通らなかった

カレが言う
「ウチへおいで、ウチへ帰ろう」と

そのカレは「37歳」で記述したカレとは違う人
私に彼氏がいるのを知りながら
メールをいつもくれてた人

でも…カレのウチへ行く理由がなかった
付き合ってるわけでもないし
私はいつか必ず会えるはずと
逃げている家族を待ち続けるつもりだった
だがカレは言った
「あそこには誰もいないよ、待ってても無駄だよ」と

渋々カレに手を引かれ
カレのウチへ行った

その日から
カレとの同棲生活が始まった

この続きは「続き」↓で記述する

MANA

続きを読む "38歳 part1"

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37歳

入院期間はだいたい皆3ヶ月なのに
私は帰れる場所が無く
1年も入院していた

その間
鬱病再発し
摂食障害にもなり
パニック発作まで併発してしまった

なにはともあれ
相談員の指導のもと
更生施設へ入所することになった

ソコでの生活は
何の意味もなかったように思う

脱走したw

だが両親が私を受け入れられず
また入院することになった

そして鬱が酷くなった

このころ
彼氏がいて
毎日面会に来てくれてた

また
抗鬱剤の効果(?)で
ハイテンション
つまり
今度は躁状態となり
活発に行動していた

その躁状態が
思考力を狂わせていたのか…
2ヶ月で自主退院することにした
それも急に思い立ってのことだったので
他の患者たちや
ナース
先生方に思いとどまるよう説得されたが
「大丈夫です」
と押し切ってサッサと手続きを済ませて
退院した

行く当てもないのに……

そして数ヶ月
放浪生活することとなった

殆ど浮浪者同然の生活

いつも傍に彼氏がいたが
カレには生活力が無く
やがては対処しきれなくなり
逃げたw

ま、そんなもんでしょうw
人間なんて……

そんな時
救世主現わる

今現在新たなステップファミリーとして
家庭を持てるようになったが
そのいきさつは
「38歳」で記述しよう

MANA

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32〜36歳

結論から言うと
36歳で離婚した

そしてアル症の治療のため
入院した

入院前までは
デイケアに通いながら
通院していたが
このビョウキのタチの悪さには脱帽
そう甘くは無い
なかなか抜け出すことは出来ない
きちんとした専門治療を受け
回復のための努力をしなければ
克服することはまずないだろう

断酒したはずの今でさえ
厄介なのだから……

この歳の頃の出来事は
「続き」で紹介しようと思う

MANA

続きを読む "32〜36歳"

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31歳

2年前に結婚し
新居での3人暮らしが始まったが
初っ端からお冠モードのMANAだった

あまりにもイライラするので
キッチンドリンカー状態で行動してた

詳細は元ダンナのコトなので
割愛するが
こんなんだったら

結婚するんじゃなかった……

暴言吐きまくりの日々
泣きわめく息子

その状況を観た両親が
「こんな所においておけない」と
息子を実家へ連れて行ってしまった

絶望

そのひと言だった

毎日泣きながら
ヒトリ酒

さみしい…

くるしい…

しにたい…

リスカ(リストカット)が始まった
そしてオーバードーズ

なんてザマなんだ……

MANA

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30歳

アルコール依存症

これは回復はしても
完治しないビョウキと言われている

若い頃から遊び半分で飲んでいた
ソレがこんなに恐ろしいモノとなるとは
想像もしていなかった

組織から排斥されると共に始まった
カレとの結婚生活
ソレはソノビョウキを進行させ
悪化させるものとなってしまった

カレは悪の使い???
そう思えてならないコトが次次と始まった

これから記述する内容は
正直しんどい……

少し時間をください

MANA

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29歳

別の病院を紹介されたが
なかなか行く勇気が持てず
飲んだくれ生活を送りながらも
何かシゴトしなくては…と思い
某有名清掃会社のハーティーと言うシゴトをした

私がシゴトへ出掛けようとすると
2歳チョットの辿々しい歩行の息子が追いかけて来て
「ママ、行かないでぇ〜!!
 ママ、行かないでぇ〜!!」と泣く
おばぁちゃん(母)が
ナダメてくれてる間にスッと
後ろ髪惹かれながら出掛けてた
コレはかなり切なかった

そんなある日
ある分厚い手紙が届いた
なんだろ???
と封を開けて見ると…
「なんじゃこりゃぁ〜??!!」
ビビったw
何て書いてあったと思いますか???

あまり接触もなかった友人からの
結婚の申し込みだったw

変なの!!

わけがわからず
そのままスルーしてしまったw

その一週間後くらいに
ラブレター(?)くれた本人から連絡が来た

「返事はくれないの?」と

「返事書きます」と返答し
その申し込みを断った
が…
ウチの両親が何故だかカレを気に入っていて
ウチに食事招待をしていた

シゴトが終わり、帰宅した部屋で観た光景は
とても印象的なのだが
息子とそのカレが
楽しそうに餃子を作っている微笑ましいシーンだった

(息子には、やはり父親が必要なのかな…
 私ひとりじゃダメなのかな…)
そう感じた私は
カレともっと良く話をしてみようと
電話したり、会ってみたりした

そうしているうちに
とんでもないことが起こってしまった

婚前交渉

やっと復帰できた組織の中では
ソレを「姦淫の罪」と言い
審理委員会にかけられた

カレもその組織の人だったので
同様に委員会にかけられ
即追放(組織内では、ソレを「排斥」と言う)された
私の場合は何故なのか考慮中と言われ
結果待ちだった

多分だが
姦淫後
入籍手続きをとったので
カレとは夫婦となっていた
そのため姦淫を犯し続けているというワケでもなくなり
考慮されたのかもしれない
(まぁ、カレの場合はまったく考慮の余地無しだったのは謎)

だが結局排斥となり
排斥者はその信者たちとの交流は一切できないシステムで
道で会っても挨拶すら許されなかった

十代の頃も排斥の経験をしてたので
また同じコトが始まるのか…と嘆いた

そしてカレと息子と3人の新居を設け
ソコで7年間過ごすことになるのだが
その当時の内容は思い出すのもオゾマシイ…

地獄のはじまりはじまり〜www

MANA

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28歳

酒の飲み方がおかしい
普通じゃないと
友人が心配し
一緒に病院へ行こうとのこと

その翌朝友人達のクルマに乗せられ
病院へ向かった

ソコでまず診断されたのは
「アダルトチルドレン」だった

先生が私の顔を見るなり
一冊の資料を手渡した

「まず、コレを読んでください」

言われるまま読んだ

「な…なんだ?コレは???
 私のコトが書いてあるじゃない!!!」

びっくりした

アダチルは
大きく分けると2種類あり
ACOAとACOD

私は後者だと理解した

そう
「機能不全家族」

また幼児期の
理不尽な虐待からによるもの

ただ、私の病状はアル依存がヒドク
連れて来てもらった病院では
専門分野が違っているらしく
別の病院を数ヶ月後紹介された

MANA

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27歳 part4

息子の授乳は混合だった
(母乳とミルク)
だか私は家族との問題で
(特に母親)
またアルコールを飲み始めるようになった

アルコールの含まれた母乳を
息子に飲ませるわけにはいかなく
ごめんね…
ごめんね…
と泣きながら張ってくるお乳を絞り出した

子供に母乳を与える時の幸福感は
経験者しかわからないだろう
スゴクシアワセだった

でも、アルコールのせいで
私は自らそのシアワセを失わせた

苦しかった
虚しかった
哀しかった

その負の感情から
アルコールの量は増すばかり
そのうち母親の役目を奪う母に
息子をまかせっきりになり
また浴びる様に酒を飲むようになっていった

どうせ私なんて…

そんな投げやりな気持ちがまた復活

どうしようもない
愚かな酒飲みになってしまった

MANA

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27歳 part3

「決別」〜第一回目〜

息子の誕生後
息子の父親にあたる例のカレと
やっと別れられる日が来た

ジブンのチカラだけでは
どうにもならないことがある

悪魔は人間より
遥かに強いエネルギーをもっている
霊だから…
霊のチカラには対する霊のチカラが必要

神に寄り頼み
悪魔との決別をすることができた

神様ありがとう
私を救いの道へと導いてくださった

以前の私の過ちを許して下さった

息子誕生して数ヶ月後
神との和解をし
平和と安全のもとで
日々を過ごせるようになった

が…
そう簡単には悪魔は離れてくれなかった
この後もっとすごいチカラで
私を攻めて来た

これから記述することは
是非呼んでいただきたい人々がいる

それは
「アルコール依存症」

とんでもないことが
この後も巻き起こった

MANA

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27歳 part2

そんな中
まだカレとの交際は続いていて
組織の長たちに相談している頃
妹の状況は悪かった
(ジブンのコトではないので割愛するが…)

カレとの件
妹の件
で悩んでいた

そして夏
妹の行動が目にあまり
夕食も喉を通らず
ふて寝してた晩のことだった

パンッ!! と大きな音がしたと思った瞬間
水が溢れ出した
そう
破水だ

親がすぐに産院へ連絡し
クルマで産院へ向かった

初産だから
そんなに早く産まれないと先生は言ったが
どうもおかしい
陣痛が定期的におそってくる
何度もナースコールを押し
先生を呼び出した

「そんなはずはないだろうが…」
と首をかしげながら
先生は診察室へ私を呼んだ

「んん? コレは産まれるかもしれない
 しばらくココで様子をみよう」

その数時間後
息子が誕生した

「おんぎゃ〜 おんぎゃ〜」

元気の良い泣き声
涙だった

神様ありがとう
私にこんなキレイな子供を産ませてくださった…
ありがとう
ありがとう

しかしその瞬間
私は過呼吸と失神で倒れた

しばらく分娩台の上で寝かされた

遠くの部屋から私を呼ぶかの様に
泣き続ける息子の声

早く行かなきゃ
早く行かなきゃ

想いははやるがカラダが言うこときかない

すきっぱらで出産したのも良く無かったのだろう
先生に何か口に入れる物をお願いし
ビスコと牛乳を持って来てもらった

ゆっくりと食べ
チューチューと牛乳を飲み
もうしばらくしてから

行くゾ!!

ありったけのチカラを振り絞って
泣いてる息子の所へ向かった

なんてキレイなの…
なにもかもが小さくて
それなのに元気で…
生きてる……

頭の中で行進曲が流れたw

神様ほんとうにありがとう
私はこのコを守ります

このコの名前は既に決めていた
意味は「神の助け」

今現在もソレを痛感することがよくある

ホントにありがとう

MANA

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27歳 part1

産まれて来る子供を
守り続けるためには
ジブンひとりのチカラだけでは
不安だった

子供の頃から信じていた神に祈った

「私は追放されていますが
 このコを守りたい 
 どうか私にチカラを与えてください
 そしてこのコの母親として
 全身全霊で貴方に仕えられますように」

そして聖書を開いた

乾いたスポンジに水が吸収するように
スゴイ勢いでみ言葉が入って来た

スゴイ!! スゴイ!! スゴイ!!
聖書にはこんなことが書いてあったの???

赤ん坊の頃から学ばされていた
聖書
ココには人間を創った創造者である神の
人間の生き方マニュアルが書いてあった

こんなことに気付くのに
何年かかってしまったのか…

でも過去はどうでもいい
これから自己革命を起こそう!!

そして
組織への復帰のために
全力を尽くし始めた

MANA

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26歳 part3

カレからケータイを持たされていたから
MANAどこへ行った攻撃をされた

新居先を教えたく無かったので
ある場所を指定し
ソコで会うことにした

また昼間っから酒…
付き合わされ
ホテルへ行き
またSEX

こんなこと
いつまで続くのだろう…

お腹がどんどん目立ち始め
カレに言った
「MANA産むから」
カレは私と産まれて来る子供のマンションを借りると言った

断ったw

もうカレとは終わりにしたい

MANA

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26歳 part2

引っ越し先は
新築マンションだったから
以前より広いし、キレイだし…
母や妹なんて
ニコニコw
ゴキゲンだったw

父は一生懸命だったかなぁ〜

当の本人、私?
私は…

この土地で
心機一転
がんばるぞ!!
と意欲的だった

お世話になった友人たちを
新居へ招待し
友人たちも
一安心の様子だった

一人暮らしをしていたあの頃…
私はボロボロだった
皆に言われてたのは
「MANAは話し好きだし
 ヒトリでいちゃダメダヨ
 実家へ帰りなぁ〜」
だったから…
一人暮らしは良く無かったのだろう
でも
家には居たく無かった
家には問題があったから…
居場所がなかったから…

だから家族が団結して
新居でまた一緒に生活することは
後々地獄を見ることとなるのだった

MANA

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26歳 part1

待ってました!!
…とばかりに
中絶一週間後
カレとの毎日のようなSEXが
また始まった

毎日フタリで
飲んだくれて
メチャクチャな行動だった

もうビョウキ…
あの頃のフタリは
どう考えてもおかしい

なんだったんだろ

そしてまた妊娠w

3度目の正直?www

カレは前回同様即中絶との回答だった

話し合った

じっくり話し合った

でもカレは認めてくれず…
銀行から金をおろし
私に10万をポンッとよこした

「コレで病院行け」(下ろせ)と

私は覚悟を決めた

その10万をそのままジブンの銀行へ入金し
「今回は産みます!!」と
産科医に報告した

カレには内緒で産む事を決意した

この件に関しては
友人や家族とも良く話し合った
結論は皆NOだったが
妹だけは違っていた

「お姉ちゃんがソレだけ悩むってことは
 産みたいってことなんじゃないの?」
のコトバに反応した

そう…
産みたかった
どんな状況であれ
与えられた大切な命
オトナの身勝手な行動で
簡単に下ろすべきではない

両親に
「MANA、産みます」
と固い決意表明をすると
反対していたのがウソのように
行動を開始した

この土地にいるのは
産まれて来るコのためにも
状況、環境が良く無いとのことで
引っ越すことにした

この行動力の素早さには圧巻するものがあった

家族が一致団結して行動したのは
初めてw
スゴイ勢いで新居先を探しまわり
お世話になった今でも繋がっている友人達に
状況を説明し
引っ越しが決まった

皆とても協力的だった

感謝しています……(涙)

MANA

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25歳 part3

カレは毎日のようにウチへ来て
昼間っから酒のんでた

私の一言で
悩んでいた独立(会社設立)を決意し
始動した

部下たちにケータイで指示だけし
ジブンは私と酒とSEX

そして数ヶ月後またまた妊娠orz

まいった

中絶はもうヤダ

ギリギリまで粘ったが
カレに病院へ連れてかれ
手術

麻酔がキレ
目が醒めた瞬間
うわぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
大泣きした

暫く手術台の上で泣きじゃくっていた

泣き疲れて大人しくなった頃
看護婦さんが来て
「大丈夫ですか? お部屋を移動しましょう」
安静室へ連れてかれ
寝た
「何か飲み物を持って来ますが
 何が飲みたいですか?」
と看護婦
飲み物を頼んで
チューチュー吸ってた

落ち着いた頃
帰宅してよいと指示され
錯乱状態で
またカレが待ってる部屋へ帰った

もうこんなのはイヤ

もうこんなのはイヤ

イヤイヤイヤ

また求めて来たカレに
一週間はSEXするなと医者に指示されたことを伝え
やめてもらった

ヒトリになりたい

もうココに居ないで

帰って

帰って

でもカレは帰らなかった

酒のんで
外でも私を連れ回して飲んで

私も何かを忘れるかのように
飲んで…
飲んで…
飲んで…

飲みまくりの日々が続いた

もう死にたい

子供時代から
自殺願望が強かった私は
自殺を考え始めてた

ソレを聞きつけた幼馴染みが
慌てて私に会いに来た
私を見た瞬間に言った一言
今でも忘れない

「MANA!!どうしたの?
 骨と皮じゃん!!!」

海鮮類がスキな私のために
海鮮丼を買って来てくれていたが
食欲ゼロ
何も入らない
酒しか入らない

ごめんね…と
冷蔵庫にしまったまま
酒を飲み続けてた

幼馴染みは心配して
そのままウチへ泊まり
そのカレに会わせて欲しいと言い
カレを呼んだ
3人で酒盛りし
フタリともウチへ泊まり
彼女は翌朝出勤した

ごめんね…

ごめんね…

ごめんね…

そしてカレはいつものように
ウチで飲み
昼間っから開いている居酒屋へ
私を連れて行き
フタリで飲みまくったorz

MANA

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25歳 part2

別れ話で揉めてる最中に
私は妊娠してしまった…

カレの答えは
即NO!!
言われるがまま
中絶した

その病院の夕暮れの帰り道
虚しさが込み上げて来た

ただただ
呆然と
あてもなく彷徨うかのように
家路に着いた

部屋でカレは待っていた
私のココロの傷も考えもせず
またSEX

こんな時に
どうして???

哀しくなった
苦しくなった

この時
カレには愛が無いことを悟った

MANA

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25歳 part1

私の両親に挨拶をしたいとの
カレの要望で
会わせた

「MANAさんと結婚させてください」

私と一回り程年上のカレ
広告代理店の部長
(後に独立し、ジブンの会社を立ち上げた)

ファザコン系の私にとって
カレは父親的存在だった

両親は不思議そうな…というより
怪訝な感じだったが
了解してくれ
結婚前提の付き合いとなった
が…
カレの行動パターンがおかしいと気付き
(必ず土日出掛ける)
毎週末何をしているのかと問い訪ねた
すると
実は妻子持ちだと

なんだそりゃ???

即交際を断った

私が一番キライな
「不倫」ってヤツじゃん!!
家で待ってる奥さんと子供はどうなるの???

最低ーーー!!

騙されてた私もバカだw
何故最初から気付かなかったのかw
両親のあの時の怪訝な様子は
このことだったのか?

私はバカだバカだバカだorz

でもカレはなかなか離れてくれない
終いには泣き落としw

最悪orz

カレの言い分はこうだった
「MANAと付き合う前から
 離婚は決まっていて
 MANAとは関係のないことだ
 そろそろ別れるから
 待っていてくれ」

また信じちゃったよ……

待っちまったw

この後事件が起こった

MANA

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24歳

私はただ
酒が飲みたかっただけ…
ただ酒飲みながら
収入まで入るとゆ〜
ジブンにとっては都合の良い話で
ホステス始めただけ

ホステスとして
マジで働いてるヒトたちに
申し訳なかった(泣)

でもママが辞めさせてくれず…

以前派遣会社に登録していたのを思い出し
また某大手企業のシゴトを紹介してもらい
昼間はソコで働き
夜は結局ホステスを続けていた
(ママには色々お世話になっていたので
 断りきれなかった)

そんなある日
新顔のお客が固定客として
またついたw
その客は毎日顔を出し
色々話を聞いていると
バツイチで
男一人の生活は大変だと良く言っていた
そのうち私と結婚しようと言い出した

ホステスも辞めて欲しいと言われ
何とかママを説得し
お水の世界から足を洗った
そしてカレと半同棲の生活が始まった

MANA

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23歳

このまま水商売を続けて行くのは
様々な面で良く無いのを感じ
転職を考え始め
パソコン教室に通い始めた
そして資格合格後
天職に就いた

せっかく習ったパソとは
まったく関係のないシゴトw

特別養護老人ホーム

シゴトとは
こういうものだ☆
と思った

楽しくシゴトを続けていたが
私が居ないとダメだと
ナイトラウンジ(水商売)のママから
ヘルプを頼まれ
昼は老人ホーム
夜はホステスと
掛け持ちでシゴトをしていた

また
老人ホームで彼氏が出来てしまい
社内恋愛禁止されていたので
良い関係を続くコトもできず
結局別れる事となり
居ずらくなり
たった1年で退職w


結局またホステス業のみの生活……

なんなんだろ…ねw

MANA

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22歳 part2

ママはオカマちゃんだから
ココロは女でも
行動は男

スゴクシゴトしやすい♪

相談にも良く乗ってくれたし
お笑い系だけじゃなく
話の解る人だった

この人とだったら大丈夫
という安心感の中で
おシゴトさせてもらった

だが
数ヶ月後
酒が切れた状態で店に出ると
グラス持つ手がプルプルと震えるようになった

ヤバッ!!
このプルプル止める方法は
酒飲みまくるしか無いと思い
客が入ると
煽るようにスゴイピッチで
一気飲み続けて
震えを止めた

後からわかったことだが
あのプルプルは離脱症状だった
コレはその後
もっとヒドイものとなっていった
(その件に関してはその頃の話の時に記述する)

そして
飲み方もおかしくなっていた
ブラックアウトして
飲み始めて中間から飲み終わるまでの
記憶がまったくなくなり
誰と飲み
誰と何を話していたのか
思い出せなくなった

客と話を合わせられなくなった
憶えてないから……
コレは最悪だった

MANA

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22歳 part1

雑貨屋のシゴトでは
事務系
お留守番係で
電話での発注、受注をしていた

営業が夕方帰って来ると
よく飲みに連れてかれたw

近所の友人経営してる居酒屋で飲んでいたら
オモシロい店があるから
この後行こうと誘われ
タクで湯島へ移動した

店内はカウンター席と
五卓程しかない小さなナイトラウンジだった

ソコのママは「オカマちゃん」だったw

マジ受けたwww

ソッチ系の人と会うのは初の経験で
メッチャ楽しかった

彼女?彼?と話してると
笑い転げてばかりwww

楽しい♪
ココで働きたい☆

そのままをママに話すと
ヒトツ返事で
「いいわよぉ〜、明日から来なさい」

雑貨屋のシゴト辞めて
即働くこととなったw
ってか…
後先や会社のコトすら考えない
単純ななりゆき……
私はホントおバカw

私にとっては
ただ酒飲めるw
歌い放題w
会話は楽しいw
金は入るw

こんな美味しい話はない
メリットばかりじゃん!!
な〜んて感じで
安易に決めてしまった

ところが
ココでの経験が
アル依存の発端となった

MANA

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21歳 part2

キャバ嬢として生活するコトに
不満があったので
(ライバル心満々のコや
 姉さんたちの視線が一番苦手だった)
サッサと辞めて
雑貨の卸業者の事務員のシゴトに切り替えた

また
同居中のコにも
かな〜り問題多く
精神的にまいってしまい
悪いケド
置き手紙して引っ越した

彼女については
彼女のプライバシーもあるので
詳細は記さないが
私の友人たちからのアドバイスもあり
一緒にいるべきではない…
とのことだった
かなりヤバイコだったw
(色んな意味で)

この頃に付き合ってた彼氏とも
彼女が原因で
多くのトラブルがあった

そう…
彼女は彼女の友人たちからも聞かされていたが
かなりのトラブルメーカーだった

たった数ヶ月の付き合いだったが
何十年分もの負担をかけられた気分www

ま 終わった話だから
もうどうでもいいけどねぇ〜w

でも…
何だか…
今でも心配

どうしてるかな
ダイジョブかな

こういう私は
かなりのお人好しバカと良く言われるw

MANA

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21歳 part1

ネズミコウの時に知り合った女の子が
家出したいと言っていたので
放っておけなくなり
一緒にマンション借りて
暮らすコトとなった

彼女とシゴト探しも始めたが
水商売がやりたいとのコトで
(お金を手っ取り早く稼ぎたいのだとか…)
キャバクラで働くコトとなった

私は気が乗らなかった
だがその時はそうするしかないと思い
一緒に着いて行った

生バンド演奏の舞台と
大きなダンスフロアーのある店だった

ソコで毎日酒を飲み
お客様の接待をし
運動音痴の私に
ダンスを教えると誘われ
バカみたいにクルクルと踊ってたのを思い出すw

ソコはかなり大きな店だったので
ポケベルを持たされ
指名客が来ると
ピピピピピピピピと
四六時中ウルサく鳴っていた
でもソレは私だけだったようで
他のコたちは客待ちで
ボーっと待機していたのだとか…

何故だかわからないが
私はいつの間にか
その店のNO.1になっていた

コノ世界のコトも
まったくワケワカランチンの度素人なのに…(謎)

この頃から
アルコール浸りの生活が始まった

MANA

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20歳 part2

別れた彼と
同じ職場でいることが
精神的に負担になり
ましてや
元サヤにおさまったフタリが
同じフロアー内にいることは
わたしにしてみたら
最悪の状況で……
退職w

心機一転のために
他社で働く事にしたが
そこではストーカーにあってしまったorz

東京にいることが
耐えられなくなり
父の田舎へ引っ込む事にした

山や畑、田んぼに囲まれた
空気の美味しい土地だった

ほとんど
誰も知らない人たちの居る場所
解放された

早々に就職先を探し始めたが
如何わしいシゴトにハメラレテしまったw

ジブンでもアタマだいじょぶ???
と思うw
なんでもかんでも信じてしまうクセ

そのシゴトとは
ネズミコウだった

まんまとハマってしまい
スゴイ勢いで活動を始めた
熱狂的信者のように……w

その活動をするためには
ブレーンをつくらなければならないので
ナカマのいる東京へ戻らなければならなくなった

田舎にはほんの数ヶ月しか留まらず
結局東京で活発に活動を始める

が、段々何かおかしい?と感じるようになり
退会しようとしたが
なかなか辞めさせてくれない
毎日の様にシツコク電話がかかってくる
だから電話番号も変えた

わたしはいったい
何をやっていたのだろう?

バカだ… ね?www

MANA

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20歳 part1

友人たちは皆
短大
専門
就職してる中
わたしは引き続きバイト

ジブンも定職に就いた方が良いと思い
アレコレと探していたが
何をして良いかもわからず
派遣社員として
某大手企業で働くようになった

ソコの男性社員に食事に誘われ
何回か飲みに行くうちに
誘って来た男性と付き合う様になった

付き合い始めて間もない頃
会社帰りの改札口で
彼とわたしをジッと見つめる女性がいた

私:「あの人ずっとコッチ見てるよ」
彼:「んあ? あぁ…チョット待ってて」

フタリは何か揉め合ってる様子だった

ほんの数分で彼は戻って来た

彼:「行こう」
私:「え? 彼女まだコッチを見てるよ
   まだ話終わってないんじゃない?」
彼:「いいんだよ、行こう」

とても気になりながら
彼の言う通りに彼のウチへ行った

夕ご飯を食べ終え
ゆたぁ〜っとしていた時

プルルルル…
プルルルル…

電話が鳴った

さっきの彼女からだと
彼が目眴せをした

また電話口で揉めている

事の詳細を聞くと
彼女と彼は付き合っていたとのこと

……この続きは
また後程……

ごめんなさい(涙)

MANA

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19歳

宗教組織から追放され
高校も卒業し
(卒業したとは言っても
 不登校だったため
 出席日数が足りなかったが
 担任がごまかしてくれた)
全てに解放された感があった
凧の糸が切れたように
自由な空へ飛んで行った

自由…
その時のソレは
無秩序なモノだったと
今は思う
本当の自由ではなかった

高校生の時から始めたバイト先で
大学生たちと遊んでた
そう
高校時代
学校も行かず
バイト先のナカマ達と
飲みに行ったり
ドライブしたりしていた
(私は走り屋でしたw
 クルマ&単車両刀)

毎日の様に朝帰り
この時は既に
家族との交流は殆ど無くなっていた

無視の世界

幼少から中学2年まで
あんなに絡んできた家族…
あの柵から解放され
セイセイしてた

バイクにもハマリ
奥多摩まで
峠を攻めによく行った
と言っても
わたしは2ケツw
ジブンで運転したくて
欲しい車種もあったし
免許も取りたかったが
誰もが反対した
理由は危ないからだと
それでも諦めきれず
よく馴染みのバイク屋へ行っては
STEEDをナメルように眺めてた

19歳
未成年最後の年齢
やりたい放題
自由気まま
親にイヤミを言われながらも
奔放にやらせてもらった最初で最後の時期だった

MANA

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途中ですが…

過去を振り返って
書き綴るうち
具合が悪くなってきました

過去は
まったく啓発的でなく
マイナス思考で
重たいし
くだらないので
本来振り返らなくてもいいのかもしれません

現在は
とても前向きで
充実していて
幸せな生活をしています

振り返らなくていい過去……

書き始めた今
どうしたらいいだろうかと
悩んでいます
くじけそう…

でも
こんなわたしでも
幸せ掴むことができたこと
だから
もし何かで悩んでいる誰かが
このブログを読む機会があるとしたら
なんらかの参考にしてもらえたら…
そして
誰でも
幸せになるために産まれて来たんだと
伝えたいです

コドモだったから
訳の分からず屋で
無分別で
メチャクチャスッチャカメッチャカ
でしたけど
オトナになった今は
まだまだ足りないケド
毎日が楽しくて
生き生きとしていて
元気です

最後まで
諦めずに
書き終える事ができますように…

MANA

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17〜18歳(高2〜3)

登校拒否
ヒキコモリ

誰にも会いたくない
誰とも喋りたくない

布団に張り付いたまま
微動だに出来ない鬱状態の日々
覇気が無く
何にも興味が持てず
目は虚ろ
ただ息をしているだけ
虚無

そんなある夏の日
お中元で届いていた
ビールの箱が目にとまった

どんなもんだろ?
と興味本意で口にしてみた

ニガッ!! 変な味!!

そう感じたのも束の間
ツーッと喉を通り胃の中が熱くなり
高揚してきた

何なんだ? この興奮???

活力が湧いて来る…

急に誰かと喋りたくなってきた
何処かへ行きたくなった

何かキモチイイ♪
楽しいかもしれない♪

それからというもの
飲んでは人恋しくなり
飲みに出掛けるようになった

誰と居ても
つまらなかった
と言うか苦痛だったのに
誰かと居るコトが
楽しくなった

そこにアルコールがあることが前提で…

いい子を強いられて
これまで生きてた
いい子を努めて
ムリをしていた
そういうのはもうやめようと思った

そして反抗心と興味本位で
タバコも吸うようになった

なんでもかんでも
ダメダメと言われ続けてきたものを
全てやろうと思い始めた

その中に
組織以外との交流・交友を続けてはいけない
という訳のわからない規則もあった
何故友達作っちゃいけないの???
変なのぉ〜
だから普通に守らなかった
友達大スキだもん♪
友達大切だもん♪

それにより宗教組織から追放される

MANA

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16歳(高1)

某私立女子高等学校へ入学したが
合格発表までの道のりは甘く無かった

担任からも
「オマエの学力なら大丈夫!!」
と太鼓判を押されていたにも関わらず
第一希望の公立高校は落ちてしまい
項垂れていた
そして私立の入試まで
ピリピリとしていた

あの時の緊張感漂う空気は
思い出すと苦しくなる

この頃から宗教の集まりにも行かなくなり
ヒキコモリ状態が続くようになった

わたしのヒキコモリは
この頃から酷くなっていった

小学生の時にイジメにあっていたコトを
前に書いたが
その頃から登校拒否気味で
友人等も心配していたようだった

そして高校へ入ると
完全なヒキコモリ生活が始まる

MANA

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15歳(中3)

この当時のことは
記述するのも苦痛…
精神的にかなりきてた
ボロボロorz

気合い入れないと書けないので
再度改めて更新するとしよう

MANA

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14歳(中2)

人生を決める重大な決意表明をした
ある秋の日
事の重要性をまだ良くわからずに
サクッとやってのけてしまった…
後に後悔することとなるのも知らずに

それは両親が信仰していた神に献身する
つまりジブンを捧げるというもの

来年は中3で
高校受験も控えているから
そうするヒマは無いという勝手な親の言い分と
その組織からの圧力(プレッシャー)から
必要を迫られてのコトだった

今思うと
その当時のジブンや周囲のオトナ達の浅はかさに
呆れるばかりだ

MANA

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13歳(中1)

仲良くしていた友人が
先輩たちからのイジメ(リンチ)を避けるため
私立の中学へ行き
宗教組織内での幼馴染みも引っ越しで転校

初恋は小6の時で
彼は外語大学生だったが
その彼も宗教組織の関係で引っ越し

寂しい気持ちで迎えた中学1年の春だった

小学時代のいじめっ子のヒトリと
また同じクラスw
だが彼女は他校の生徒たちにビビってたw
そしてわたしに馴れ馴れしくしてきた
「なかよくしようね♪」だってwww

めんどうくさいヤツw

仕方無く一緒にいたが
しばらくしてわたしが不良の女の子と仲良くしていたら
「あの子と口きいたらイジメルヨ」
と言って来たw

なんなんだ?コイツw

呆れてモノも言えないとは
こういうヤツのコトをいうんだろう

いつの日か正義感の強いヒトとなっていたわたしは
いじめられっ子の味方になり
いつも傍に居た
逆にわたしがイジメられることもあったが
何も怖くなかった
むしろバカバカしくて
相手にならなかったw

そんなことより
宗教組織のオトナどもがウザかった
服装やら
髪型やら
態度やら
グチャグチャと学校並みにうるさかった
いや、それ以上だったかもしれないw

母は毎日ヒステリーを起こし
父は家庭に無関心

どこへ行っても
心休まる場所は無く
授業中も
家に居ても
窓の外をボーッと眺めるのがクセだった

空飛べたらなぁ〜

そんなこと考えて
飛ぶ鳥を眺めてた

夕陽が沈んで行くのを観るのもスキだった

そして
小学生時代からずっと
どうやったら痛くなく死ねるかを
考えてた

ジブンが存在する意味
生きてる意味
生きていく意味
それがわからなかった

何故わたしは産まれてきたの?

この頃はまだ
後10数年後に奇蹟的な経験をするとは
想像もつかない

この頃のわたしに言ってあげたい
「産まれてきてよかったね
 あなたは幸せになるために
 産まれて来たんだよ」って…

これから起こるコトも知らず
まだまだ暗雲の時代は続き
地獄を這うかの様に生きて行くのだった

(部活動に参加するのも、宗教で禁止されていたので
わたしは帰宅部でしたw)

MANA

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8〜12歳(小2〜6)

小学校も中学年に入った頃
イジメにあうようになった

一風変わった家庭環境で育ったせいか
風変わりなコドモだった
ヒトと違うことを言ったり、行動したり…
いじめっ子の側からすると
目立ってて、ウザかったのだろう
わたしにしつこく付きまとってきた
わたしからしてみると
その子たちがウザかったw

あの子たちはどうしてわたしに注意を向けるのだろう?
放っておいて欲しい……

この頃から登校拒否気味になる
神経痛であろう腹痛と微熱が続くことも頻繁に…
「自律神経失調症」はこの頃から芽を出し始めた
そして「不眠症」
眠れない夜ばかり
朝になるのが怖くて
ヒトリ枕をぬらしてた
イジメられていることを
親にも悪くて言えなかったから
ヒトリで悩んでた

また、家の前の大通りをパレードする(?)暴走族が
妙に気になり
興奮して見とれていた
あの大きな爆音と禁じられた遊びのテーマw
あの群衆がスペクターと名乗るグループだと知ったのは
つい最近のことだが…w

MANA

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7歳(小1)

両親はある宗教組織に熱心に携わっていた
妹が母のお腹の中にいるときからだという

その組織での規則は厳しく
組織内でしか交友関係を築けず
近所のおともだちをつくることは許されなかった

幼稚園や保育園へ通うことも禁じられていた

(テレビ番組にも厳しい制限があり
 唯一見せてもらえるのは
 「サザエさん」
 「世界名作劇場」
 「大草原の小さな家」
 歌謡番組は絶対にダメだった
 年間行事もすべてダメw
 誕生日も祝ってはいけない
 クリスマスもダメw)

しかし義務教育は受けなければいけないと
小学校へ通うこととなった

産まれてから7歳になるまでの7年間
世間に触れずに来たから
小学校へ初めて行ったときの恐怖といったら…
コトバの通じない外国へ行ったような感じだった
皆が何を話しているのかサッパリわからない
ちんぷんかんぷん

毎朝恐怖と闘いながら通学したのを憶えてる
この頃から「不眠」に悩まされるようになる

そして…
宗教組織内でも恐怖があった
「ムチ部屋」という部屋があり
オトナ達がコドモをそこへ連れて行き
ムチで叩くのだw

今思い出しても信じられないw

組織内のオトナ達や両親から
毎日のようにムチで打たれていた

理不尽…
愛なんて無い

最初のうちは泣いていた
愛されたい
いい子にしていれば愛してもらえるだろう
いい子にならなきゃならなきゃ…
が…
そのうち泣かない子になっていた

「恐怖」から「怒り」に変化した時期があった

MANA

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4〜6歳

「お部屋真っ赤っか事件」時に失った
大切なモノのヒトツの「何か」とは
多分純粋無垢な「愛」とか
「やさしさ」みたいなモノだろう

あの時
「憎しみ」のような
「哀しい気持ち」が産まれた

それは「悪」

屈託のない「天使」のようなコドモに
初めて「悪魔」が宿る瞬間を
経験したのだと思う

明るく、やさしく、面倒見の良いおねえちゃん
その反面
意地悪いおねえちゃんも居た

妹とケンカをした時のこと
ワァーンワァーンと泣く妹
母が慌てて飛んできた
何でそうなったのか憶えてないが
アタマにきたわたしは
妹の本(「マミー」とか「めばえ」とかいう雑誌)を
ビリビリと破いてしまった
そうしたら母が
わたしの手を強く引っ張り
ハサミをつきつけ
「オマエの手も同じように切ってやる!!」
と言って手を切ろうとした
怖くて泣いた
「ヤダーッヤダーッやめてーーーーーー!!」
と泣き叫んだ
母が鬼のようだった

何故そのようなケンカになったのか
理由も聴かず
母のわたしへの仕打ちは
理不尽に感じることが多かった

おねえちゃんであるわたしは
どんな場合においても
やさしく、親切にふるまうよう命じられていた

そうしなければ
凄い形相の鬼が飛んで来る

くわばらくわばらw

MANA

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3歳

鮮明に残ってる記憶がある

「お部屋真っ赤っか事件」
とでも言おうか
ストーブが絡んでいるので
季節は冬だというのは確かだ

いつものように
母と妹が昼寝をしている

母は妹をあやしていたのだろう
わたしが大切にしていたオルゴール人形が
その布団の傍らに転がっていた

それを見た時
胸の奥から激しく熱い何かを感じた

走ってその人形を奪い
隣の部屋のストーブの上に置いた

その瞬時に「ボンッ!!」という大きな音とともに
人形が消え
部屋中が真っ赤っかになった

怖くなって
部屋の隅の机の下へ潜った

母が凄い勢いで
座布団をブンブン振っている

なにをしているのだろう…
と震えながら見入ってた

間もなく真っ赤っかは消えた

そう…
あれは間違いなくボヤだ

無知というものは恐ろしい
とんでもないことを
わけもわからずやってのける

発火中のストーブの上に
セルロイド製のオルゴール人形を置いてしまうとは…

この時わたしは
大切なモノをフタツ失った

オルゴール人形と
何だかわからない何かを…

MANA

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2歳

特に記憶にございませんw

MANA

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1歳

妹が誕生するとのことで
同区内で引っ越しをすることに

母は出産のために
父の田舎である山形へ

母親から自立するには
まだ早すぎるのだろうに
真冬の大雪の中
祖父母の所でお世話になる

これまたモノクロ写真には
心細げな顔をした
おかっぱアタマの小さな女の子が
長靴を履いて
雪の真ん中に佇んでいる

「ここ、どこよ?」ってな顔でw

この時
母親を探して
ワァーワァーと泣いてゴネて
大変だったとか

まだまだ母親恋しいお年頃だもの
仕方無いじゃんw

MANA

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誕生

出身:東京 豊島区 池袋

五月晴れの早朝6時に産声を上げた

この時のことは
何も記憶に無いw

モノクロの写真には
サルのような小さな人間が
真っ白の(?)産着を着せられている

ただスヤスヤと
眠っている
普通の赤ちゃん

これから起ころうとしていることを
彼女はまだ知らない

当然だw

MANA

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はじめに

これからここに綴るのは
幼少から今現在に至るまでの
ココロのビョウキとの闘いの記録

アダルトチルドレン=ACOA・ACOD
であることから巻き起こった
数々の苦悩
時には笑える
ノンフィクションストーリー

MANA

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その他のカテゴリー

心と体